ブログ開設までのみちのり

行政書士受験を決めたわけ in 2007

 介護の仕事をこれ以上続けられないと思ったとき、たまたまテレビのニュースで行政書士についての特集のようなものをやっていました。漫画「カバチタレ!」の原作者を訪ねるといった内容だったと思うのですが・・・

 それまで「カバチタレ!」のマンガもドラマも見たことがなかったのですが、許認可事業だけでなく、民事関係の文書作成もできるということを初めて知りました。

 さっそく図書館で「こんなにおもしろい行政書士の仕事」という本を借りて読むと、これがめちゃくしゃ面白く、介護の仕事をしていて、「介護」以外のことで困っていることがたくさんあるのを目の当たりにしていたので、「そうだ!介護でなくても、困っている人の役に立つことができる仕事があるはず」と思い立ったのでした。

 一方、福士業の雇用条件の悪さというか、いい加減さも目の当たりにし、「社労士をとってからずいぶんたつけれど、なにか福祉で働く方たちの労働条件がよくなるようなお手伝いもできたらなぁ」という気持ちもありました。一従業員の意見ではなかなか聞いてもらえなかったので・・・

 時期は8月。思い立ったが吉日とばかりに、ユーキャンの行政書士通信講座に申込み、11月の試験にむけて勉強を始めました。

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介護の仕事をやめたわけ

 現場の仕事にもようやく慣れてきた頃、股関節に痛みを感じるようになりました。

 もともと体が小さいため、背伸びをしたり、利用者さんを抱えたりすることの負担がかかったようなんです。

 近くの整形外科でレントゲンを撮ってもらうと・・・変形性股関節症 (臼蓋形成不全)

骨盤のかぶりが浅いことに加え、筋肉のゆるみ、体のゆがみなどで軟骨が磨り減り、骨同士がぶつかっているとのこと。

そこの病院では「特に治療法はない。なるべく負担をかけないようにして、ひどくなったら人口関節手術するしかない」と言われ、退職を決意。

翌日社長に「後任を探してください」と申し出たのでした。

ところが、後任者に「絶対やめんといてください。一生ついていきます」と宣言され(ーー;)、膝・股関節運動療法の専門家、ゆうき指圧整体治療院の大谷内先生に出会い、ケアマネ受験までがんばろうかと気を取り直し・・・

迎えた夏。ケアマネの受験資格が半年足りないことが判明しました。あと1年持ちこたえるのは無理。

「おぬしは別の道へ行け」という天の声が聞こえた気がしました。

そこから、福祉系行政書士への道のりが始まったのでした。

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訪問介護の仕事 in 2006

 転勤初日に退職が決まった私は、翌日から有給消化。そしてさっそくハローワークへと向かったのでした。

 長い通勤にうんざりしていた私は、「とにかく近くの職場がよい」「土日のどちらかは休みたい」「福祉関係で働きたい」というのが希望でした。

 当初、デイサービスでの仕事を考えていたのですが、介護について実務経験のない私にとって正社員の枠は非常に狭く厳しいものでした。

 その中で、ある面接担当者から「介護福祉士持ってるんなら、訪問介護のサービス提供責任者はどう?事務作業がおおいみたいだし」と勧められ、近所の事業所に面接に行きました。

 それまで出向先は40人ほどの子会社だったとはいえ、コンプライアンスを重視する会社にいたので、小規模の介護事業所の実態は・・・( ̄□ ̄;)!!

 というか、よくわからないので、「こんなもんなんか?」と思いながら勤め始めたのでした。初日から、「休みの子がいて誰でもいいって言ってるから、行ってきて!」とさっそく代行。「ハタキのかけ方も知らないの?」とその場からクレームの電話をされたことも・・・

 身体介護より家事援助が多い職場でした。ろくに家事をしてこなかったのですが、短い時間でこれだけの家事ができるということがわかり、とてもいい勉強になりました。

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予言者のような人

決して特定宗教の関係者というわけではないのですが・・・

転機の前に、前兆めいたことを言う人が必ず現われるのです。

例えば、介護用品の売り場で働いていたとき、副店長さんから

「あかりんさんみたいに資格一杯持ってる人とはあんまり長いこと一緒に働けないかもしれないけど・・・」 \(◎o◎)/! その1週間後くらいに異動の辞令が・・・

そして、訓練校の指導員として特例子会社に出向をして6年ほどたったとき、調理実習の買い物先の駐車場で接触事故を起こしてしまいました。

そのお相手が訪問介護の事業所の責任者の方でした。

名刺交換のとき、思わず「私も介護福祉士持ってるんです。使えていませんが・・・」というと、

「まぁ、もったいない。今すごく人手不足なのよ」

この言葉に「介護の仕事をしてケアマネになる」という以前の夢が触発されました。

ちょうど社長も代わり、「長くいる出向者は入れ替えるから、次の異動先希望を考えておくように」と言われていました。

しかし、結婚して引っ越した現住居から通勤可能範囲に希望の職種はなく、

迷った末、それまで「現職を続けたい」と答え続けてきた人事のアンケートに

「2~3年後に異動したい」 異動先は「介護関係が希望だが、通勤可能な範囲にないので、退職することも検討している」と記入しました。

そこから数ヵ月後に、なんと人事異動の内示が出たのです。

移動先は、以前いた介護用品の売り場。しかし、当時と違い、家庭との両立という課題を抱え、やっていけるのか・・・

日・祝休みで午前8時半から午後5時半までという職場から、店の勤務は日祝はまず休めず、正職員は午前11時から午後8時までの遅番シフトが普通・・・そこから帰ったら夜の10時前・・・

無理だという思いと、新職場の上司はよく知っている方でもう一度一緒に仕事をしたいという気持ちもあり・・・

異動を出した上司はあっさりと「ここから30分も通勤時間変わらないし、それくらいは通勤可能範囲。資格を生かせるところが希望だろう」「よく知ってる人なら配慮してくれるだろう。よく頼んでおくから」

一度相談に行こうと日にちを設定しましたが、身内に不幸があって打ち合わせできないまま移動日当日を迎えました。

新しい上司は「配慮はできない。以前と状況が違う。嘱託や契約社員の手前、正職員は見本となってもらわないと示しがつかない。家庭も大事だと思うからよく考えて」と言われ、移動日に15年近く勤めた事業所の退職を決めました。

出向している間に私の状況も変わり、この事業所が求める条件には合わない人間になってしまった。もう、未練はなかったけれど、だまされたような悔しさで涙が止まりませんでした。

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訓練校で指導員をしながら感じたこと

中経度の知的障害者を対象とする職業訓練校で指導員をしながら感じたことや初めて知ったこと、改めて気付いたことは、本当にたくさんありました。

学力と作業力は必ずしも比例しないこと。野生の勘とでもいうのでしょうか。グラム数を合わせるのが早いのと算数が得意というのはちがう能力なんですね。今思うとあたりまえですが・・・

そして、家庭環境や親子の関係に踏み込まざるをえないことが多々ありました。

子どもの障害を認められない親、自分を認めてくれない親に傷つく子ども。

距離をおいたほうが良いと感じるケースであっても、通勤寮などが整備されているわけではなく・・・大きな限界であり、ジレンマでした。

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30代を前にして考えたこと その2   in  1999

親元はなれて、独り立ち=自立の集大成として考え実行したマンション購入。

しかし、結果的に親から援助してもらうことになり、結局また迷惑をかけてしまったし、まだまだ半人前だなぁと痛感させられます。

また、後輩という同居人と暮らし始めたものの、2千万近い借金はあくまで自分1人で背負うもの。

ここまで来て、初めて1人で生きるということの心細さ、孤独感にぶちあったったのでした。

その後、インターネットで現在の夫に出会い、結婚して妻と同時に小学生の母になるというこれまで人生とまったく違う選択をすることになり、子どもの環境を変えないために大阪で新生活をスタートさせることになります。

では、今マンションを買ったことを後悔しているか?と聞かれたら、答えはNOです。

ぎりぎりまで考えた決断だったからこそ次のステップへと進めたのだと思います。

現金で持っていてもおそらくここまでの金額は残っていないでしょう。

いつかは帰りたい場所があることは大きな心の支えなのです。

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30代を前にして考えたこと    in  1999

 30代を前に、仕事面では福祉関係という専門職的なやりがいのある仕事につくことができた一方で、人生このままでいいのかと疑問にとらわれ始めました。

 次々に結婚していく同期や友人。仕事はほとんど11時出勤で夜8時過ぎに閉店・精算処理をして帰宅。休みの日に手話サークルに行く。それはそれなりに充実していましたが、1人のアパートに帰るとなんとなくさびしい・・・40歳になってもこんな生活してるんかなと思うとなんか虚しい・・・

 また5年間も寮生活をしていると貯金もたまっていました。社労士試験にうかったあとは、「1年間は働かなくても食べていける貯金を作る」ことを目標にしていましたが、とりあえず仕事に不満もなく、やめようとか独立する気もなく・・・打ち込める趣味もなく、海外旅行につぎ込む気も起こらず・・・

 周囲ではマルチ商法もどきがはやり、「相談にのってほしい」と言われ、出向くと友人にセミナーに連れ込まれたり・・・

 だまされたり、みがつされたり、ということもありえるような気がしてきました。

 そんなときに出会ったのが「女性のためのマンション購入セミナー」

「住まいは自分で選び、購入したマンションにあわせて夫を選べばいいのです」という内容にすっかりはまってしまいました。

 小さい頃から引越しが多く、関西への定住願望があったので、「これだ」とばかりマンション探しを始め、職場の近くで新築マンションを購入。

 会社のちょうど寮をでるところだった後輩に3DKの1部屋を貸し、家賃をもらって共同生活をはじめました。

  

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知的障害者職業訓練校の指導員になる in 1999

 公募のあった福祉介護用品売り場の担当に採用されて3年半。ケアマネージャー目指してまずは介護福祉士資格を取得しようとNHK学園高等学校の専攻科(通信制)に入学した年、まさかの人事異動でした。

 出向先は、特例子会社。阪神7市1町も出資した第3セクターで、重度障害者を多数雇用した食品工場に、県の障害者高等技術専門学校食品加工科から委託を受けた知的障害者の職業訓練校が併設された株式会社でした。

 「いらっしゃいませ」の世界から、「今度も立派な先生ですから・・・」と紹介されたときの違和感

 知的障害者について、なんの知識もなく飛び込んだここでの7年半の経験は、その後の人生を大きく変えていくものでした。

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福祉関係の仕事へ   in 1996

「震災で倒壊した店舗の再建にあたって西日本最大級の介護・福祉売り場をつくる」

介護保険の導入に先駆けて発表があり、社内公募が行われました。

この先の進路に迷っていた私は「これだ!」と迷わず応募し、設立準備からたずさわることとなりました。

普通の売り場だけではなく、貸し集会室、図書コーナー・・・備品の発注から利用規定作り、講座企画など。

お店がオープンしてからも、お風呂で使いやすい車椅子が実際に使えるか、家までもっていって試していただいたり、ポータブルトイレの手すりが間違えて右が2つになっているとのクレームに走ったり。

介護の勉強もしました。シルバーサービス振興会の福祉用具選定相談者資格、うらしまたろう(高齢者疑似体験)インストラクターを会社からとらせてもらい、自分でもホームヘルパー2級、そして1年でも早く介護福祉士をとるため、NHK学園高等学校の専攻科(通信制)に入学しました。

将来はケアマネージャーになり、福祉の専門家になりたいと思っていた矢先・・・

まさかの人事異動。介護保険の導入前でした。

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一番長かった誕生日 in 1996

 震災の時期にネタを合わせようと思ったら、すごいちまちました連載になってしまっています。

 震災からしばらくたって、業務は落ち着きを取り戻し、労組の職場の分会長になりました。女性分会長はまだ少数派でしたが。その特権を利用して、カナダの生協との交流企画に応募し、2日間ほどホームステイ&アメリカ旅行させてもらいました。自己負担もあったと思いますが、いい時代でした。

 飛行機で日本をたったその日がちょうど私の誕生日。日付変更線から逃げるように、飛行機をおりても、まだ誕生日継続中。人生において一番長い誕生日だったのでした。歓迎パーティーでは、サプライズでケーキを用意していただき、嬉しいけれど、もうおなか一杯。しかも、めっちゃ甘い。

 カナダの人々は、感情表現が豊かで、とても素敵でした。

それから1年たたない間に、任期を全うできずに人事異動になり、結果的にいわゆる「食い逃げ」状態となってしまうのですが・・・

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